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2013.3.13
それは何かの呪いのようにたてこんでいた仕事がようやく一段落したときのことだった。仕事場の書棚に好きな本を並べ直していていると、擦り切れかけていた気分がいつのまにかすっきりと落ち着きを取り戻していることに気がついた。まるで休日に旅先で迎えた朝のような気分だった。
おそらく本を並べることには、頭の中で蓄積してしまった不必要な情報や、断片化してしまった必要な情報を整理して、本来あるべき形に回復してくれるような治癒的な効果があるのだろう。それまでは河合隼雄さんの本で読んだ「箱庭療法」がどのようなものなのかを実感することができなかったけれど、そのとき自分に起こったことは、おそらく箱庭療法を受けた患者の心の中に起こっていたのと同じようなことだったのではないかと思う 。そういう意味では、このサイト(「whitebookshelf」)で自分が持っている/持っていた/買い物カゴに入れた/本を並べたり、更新したりする作業は、個人的な箱庭療法のようなものなのかもしれない。
そして、そのとき本を並べつつもうひとつ気づいたことは、書棚をつくるという行為はこどもにとってはさらに大きな意味を持つことになるかもしれない、という可能性だった。大人のための書棚づくりが「箱庭」であるとすると、こちらは「はこにわ」である。
たとえば、公共のライブラリーに、こどもたちのために書棚をもつ個別のブースが用意されているとする。こどもたちは館内にあるすべての書籍や映像や音楽や雑誌の中から好きなものを選んで、自分の書棚に並べることができる。ライブラリーとは「世界」の縮図のようなものだ。ふだんは触れることができない広さと深さをもつ多様なコンテンツのなかから、こどもたちは自分自身の純粋な興味にしたがって、さまざまなアイテムを選択し、生まれて初めての書棚をつくりはじめる。やがて書棚はそれらのアイテムを糸口にして、ときには広がり、ときには縮まり、随時シャッフルされながら、彼らの成長とともにそれぞれに固有の「幸福な」イメージを形づくっていくだろう。そこには、サッカー選手やパティシエやその他ありがちな華やかな職業だけではない無数の可能性の中から、それぞれが進むべき道へのヒントが投影されていく。そのようにして、こどもたちは自分自身にとっての幸福な未来を発見する手がかりを見つけることができるだろうし、大人たちは、決して押しつけではない方法で彼らを導いたり、背中を押して勇気づけたりすることができるだろう。
このサイトを「whitebookshelf」と名づけたのは、自分の書棚に白っぽい背表紙の本が目立つということと、そこが自分を漂白してくれる場所だというイメージを重ね合わせたからだ。自分にとって、「whitebookshelf」はすでに「箱庭」であって、「はこにわ」ではない。けれどもその時点での自分を確認することができる「参照点」であることに違いはない。そしてそれはこれからもささやかに更新される。
2013.3.3
「TUTORIAS PROYECTOS Y PFC」というタイトルのポスター1がある。デザインしたのはXabier Lanau。スペインのグラフィックデザイナーである。建築学生のためのワークショップ告知のポスターで、それ自体がチケットとして使えるようにミシン目が打たれていて、5×5のチケットのそれぞれに赤い円と正三角形と正方形が配置されている。この3つの図形は幼稚園や小学校のような基礎教育を連想させるおなじみのアイコンでもあり、造形教育の告知ポスターとしてよく考えられていると思う。
このポスターでは、円や三角形は規則的ではなくランダムに配置されている。端正でありながら、全体としてやわらかでユーモラスな雰囲気さえ漂うのは、こういう操作が整理された秩序を緩やかにする効果を果たしているからだろう。
カレル・マルテンスが主宰するオランダのデザインスクール「Werkplaats Typografie」が発行した「Wonder Years」という書籍の表紙もやはりこの3つの図形をつかってデザインされている。改めて気づかされるのは、円や正三角形のようなプリミティブなフォルムは何かしら人の心に訴えかける磁力のようなものを本質的に備えていて、それらが反復されると、デザインは時に強力な磁場を発生するということだ。
2.
シンプルな造形をデザインに取り入れていることで多くの人が思い浮かべるのは日の丸だろう。白と赤という配色やその意味性も含め、これ以上動かしようのない完璧にミニマムなデザインである。けれどもそれが強力なアイコンであるがゆえに、そこから生まれる磁場には注意を払う必要がある。先日、フィギュアスケートの表彰式で三つの日章旗が同時に掲揚された。スポーツ競技を見る際には極端な日本びいきにならないように心がけているし、それほど熱心に見ていたわけでもなかったのに、テレビ画面でのその光景からは抗いがたい引力のようなものを感じた。それが円の反復がつくりだす効果とはおそらく無関係ではないだろうし、そのことは心に留めておきたいと思う。
正方形だと、Pantoneのカラーチップ2がある。機能的に整理された正方形の紙片を繰る時間は、デザイナーにとって色を選ぶという意味を超えて気分が高揚するひとときである。これもやはり正方形の反復が作り出す効果といえるだろう。申し訳ないけれど、これが僕がDICではなくPantoneを贔屓にする決定的な理由である。
ところで三角形というのが、実は難しい。まず、幅:高さ=2:√3という比率が等間隔のグリッドに収まりにくい。見た目でも円や三角形に比べるとどこか取っつきにくい印象がある。実際、三角形をベースにしたロゴは円や正方形のものに比べて明らかに少ない。むしろ、交通標識の「一時停止」や路上に置かれるコーンなど、どちらかというと「注意」や「緊張」を喚起する場合に使われることが多い。単独で扱いにくいのだから、反復するとなるとさらに難易度は上がる。しかしこれが円や正方形とともに並べられるとなかなか素敵な形に見えるのだから、形とはなんとも不思議なものである。
2013.2.15
というわけで、グラフィックデザインにおけるスーパーノーマルについて。
「ノーマル」といっても、プロダクトと違って、グラフィックはコンテンツを伴うので、その印象はデザイン以外への個人的な嗜好や偏向から逃れることは難しい。文末に載せた暫定的なリストはあくまでも僕自身の基準に基づく、個人的なスーパーノーマルのリストである。もちろんなるべく多くの方に共感していただければ、とは思う。
例えば、リストのトップにあげた朝日新聞1には個人的なバイアスが少なからずかかっていると思う。読売でも毎日でも日経でもなく朝日。実家はずっと朝日新聞を購読していた。幼い頃から朝日に親しんできた自分にとって、それはNHKとともに最もニュートラルに感じられるニュースメディアであるとともに、最も身近に出会うグラフィックデザインだった。
小学生の時に、近所の床屋で初めて読売新聞を目にしたときに、朝日との雰囲気の違いに驚いた記憶がある。それはどちらが良いとか好きだとかいうことではなく、もちろん論点の違いでもなく、自分が標準だと感じていたものとは明らかに異質なデザインが存在していることへの驚きだった。
このような朝日中心の先入観をいったん外して、純粋にデザイン的な視点で見たときに、自分がやはりそれを「スーパーノーマル」だと感じることができるのかどうか、正直言ってわからない。朝日のデザイン自体がすでに判断の基準となってしまって、これは物差しで物差しの長さを測るようなものだろう。あるいはそれこそがスーパーノーマルであることのひとつの証なのかもしれない。
新聞の話に終始してしまった。前回少し触れた書体について補足しておくと、リストにはヘルベチカではなく「Nueu Haas Grotesk」と「Akkurat」2の2つを加えた。前者はヘルベチカの原型になった書体で2011年に改刻された。後者は2006年に発表された書体で、個人的にはいま最も好きな書体のひとつである。いずれも、見出しとしても本文としても定番的なサンセリフとして使用できる整ったフォルムとスペーシングを持ち、現代的でもある。
この2つの書体も含め、リストに掲載したデザインについては、思い入れの深いものが多い。みすず書房の書籍やNTTデータの広告3やサントリーモルツのオリジナルパッケージがなぜ心地よい気分をもたらすのか。これから折りに触れて書いていきたいと思う。
2013.2.6
去年の夏は「Super_Normal」と書かれたTシャツをよく着ていた。淡いグレーの地に白い文字がプリントされている。その名前のとおり、シンプルで飽きがこない。少し色が褪せてきているかもしれない。
これは、2006年に六本木のアクシスギャラリーで開かれた「Super_Normal展」1で購入したものである。展覧会は深澤直人とジャスパー・モリソンの二人によって企画され、その後、ロンドン(twentytwentyone)に巡回された。
パンフレットの中で、深澤さんは、デザイナーと呼ばれる人間が「ふつう」をデザインをすることがいかに困難を伴うことなのかを語っている。そこでは「スーパーノーマル」という言葉はあえてふつうをデザインすることの強さや真っ当さを伝える表現として使われている。ジャスパー・モリソンによれば、それは「そこにいる。あるのは感じるけれど、目には見えないという感覚」である。だからスーパーノーマルを見いだすには、そこから発されている「感じ」をキャッチしなくてはならない。
ふたりによって収集されたコレクションは、「1.傾いたダストボックス(エンツォ・マーリ)」からはじまり、「8.ポリバケツ2」「9.スーパーの買物カゴ」「33.ゼム・クリップ」「38.寒暖計」のようなふだん使いの日用品へと続く。収集品のリストは210に達し、それらはジャン・ヌーベルの「26.LESS」というテーブルの上に整然と並べられた3。説明は添えられず、それぞれのナンバーだけが割り当てられていた。
プロダクトデザインの展示では、デザイナーの強い主張が時には疎ましく感じられるものだけれど、その空間は寡黙でありながら、陽だまりのようなやわらかい暖かさに満たされていて、立ち去りがたい印象を残した。それはふだん日常的な空間に置かれているひとつひとつのコレクションがそれ自体の新たな価値を見いだされたという誇らしさのようなものを、僕が暖かさとして感じ取ったからなのかもしれない。
当時入手可能なもので構成されていたのも特徴的だった。「35.NTカッター」の何とも言えない安心感はあらためて見直したし、「82.BOSEのウェーブラジオ」や「164.マックス・ビルのユンハンスの掛時計」4など、自分が所有している物を見つけるのも、褒められたようで気分が良かった。「180.±0の22インチテレビ5」も、地デジ対応ではないけれど、代わりがないので当分現役だ。
で、ふと考えたのは、「グラフィックデザインにおけるスーパーノーマル」があったとしたら、どういうセレクションになったのだろう、ということだ。例えば、書体でいうと、Tシャツの「Super_Normal」にも使われているように、ヘルベチカがまず頭に浮かぶ。サンセリフの紛れもない定番である。しかしその反面、実用性以上にデザイナーに盲目的に重用されていて、書体はヘルベチカだけではないよ、と言いたい気持ちにもなる。ちなみに「Super_Normal」のセレクションのうち、グラフィックデザインの領域に入るのは、わずかに「208.Herald_Tribune」のみである。というわけで、次回はもう少しその話を。
このワイングラスやさまざまな過去のものから、スーパーノーマルという存在があるということが明らかになってきた。それは幽霊にペンキをスプレーしてその姿を顕すようなもので、そこにいる。あるのは感じるけれど、目には見えないという感覚だ。(Jasper Morrison『Super Normal』Lars Muller Publishers)
2013.1.30
「Tablet」という書体をつくっている。ある朝起きたときになんとなく閃いて作り始めた書体で、最初は「Capsule」という名前を付けていた。「B」を作ったところで、これはカプセルというよりも錠剤(タブレット)かな、ということで方向性も少し変わった。その「B」とか「F」あたりのユニークな形がわりと気に入っている1。
書体を作るのはたいていはロゴを作っているときで、せっかくだからと指定以外の文字も作ってしまう。まず文字フレームの縦横のプロポーションを決めて、パーツとなる数種類のエレメントを用意する。エレメントは直線と円弧で構成されたシンプルな断片で、それらを設定したルールに従って、フレームに配置していく。
はじめはすいすいといくけれど、どこかのポイントで行き詰まる。大文字なら「S」、小文字なら「e」あたりが難所である。「S」のなめらかな曲線をなどるには、さまざまな勾配のカーブが必要になるし、「e」はエレメントが太いと縦方向の収まりがつかなくなる。「v」「x」「y」あたりも、異なった角度の直線が新たに必要になって、意外と厄介だ。こうしてフォントとしての見映えと統一感を保ちつつ作業を進めていくうちに、はじめは簡潔だったルールは順次書き足され、例外的な運用を強いられていく。エレメントの種類はしだいに増えていって、Illustratorの画面は散らかっていく。
このようにして造形された書体は、一文字ずつのフォルムが良くても、テキストに組んでみると、バランスや可読性は今ひとつだったりする。そこから先は「カーニング」と呼ばれる文字同士の字詰めの設定を含めた視覚的な調整が必要になる。とはいえ、細かく直すのは結構な作業だし、場合によってはフォルムの魅力も損なわれてしまう。
そもそもテキストとしての可読性が高くて、文字単体でロゴにも使えるような都合の良い書体は少ない。サンセリフだと「Futura」「Din」「Frutiger」あたり。ローマンだと「Bodoni」「Century Schoolbook」くらいだろうか。例外としては、文字幅が均一のモノスペースの書体で、normの「Simple」2などは、単体のフォルムがユニークな割りに、組んだときのバランスも良かったりする。ちなみにモノスペースの書体なら、カーニングの作業から解放されるので、フォント制作の工程はかなり省略できる。
定番の「ヘルベチカ(Helvetica)」は少ない文字だと見映えがするけれど、テキストで組んだときの印象はいまひとつのように感じる。Lars_Mullerの赤いヘルベチカ本3によると、ポール・ランドはヘルベチカのそういう面を評して、かつてエール大学で学んでいたカイル・クーパーにいささか品のない言葉を耳許で囁いた※とか。もっともな話である。
Tabletは個性的なフォルムだし、小文字もできていないので可読性にはあまり期待できないけれど、モノスペースなのであるいは、という気がしないわけでもない。Capsuleについてはいずれまた。
Yaleでポール・ランドに作品の指導を受けたことがある。彼はヘルベチカを使うなら見出しだけにしなさいと言った。決してテキストには使うなと。そして僕の顔をちらりと見て屈みこみ、耳許でこう囁いた。「なぜならヘルベチカはテキストで使うと『dogshit』みたいに見えるから」(Kyle Cooper『Helvetica---Homage to a Typeface』)
2013.1.22
父が郵便局に勤めていたおかげで、僕は同級生たちよりも少し多い切手のコレクションを持っていた。父が最初に買い与えてくれたセットには、すでに額面では買えない切手が多く含まれていた。国宝や国立国定公園や趣味週間のシリーズが中心で、小学生の息子に与えるには、教育的な意味でも気の利いたプレゼントだったと思う。父はそのあとも新しい切手が出るたびに、さらに二枚ずつを買い足してくれた。
けれどもコレクションはそこからさほど膨らむことはなかった。僕はいわゆる「切手少年」ではなかった。「写楽」や「見返り美人」の稀少性には惹かれなかったし、しばしば図案のモチーフになっていた日本的な風景は退屈で、それらに親しむようになるのはずっと後の話だった。自分の興味を惹いたのは、永井一正の雪の結晶のロゴマークが映える札幌五輪記念2のようなユニバーサルなデザインの範疇にあるもので、その種類は決して多くはなかった。
カタログの中から、自分の小遣いで唯一買い足したのは、東京五輪の寄附金付きの記念切手だった。白地の正方形に各種目の円形の図案が斜め45度の角度で配置されていた。全部で二〇枚。それぞれが個別の一色で印刷されており、全てを並べると色見本のような穏やかで美しいコレクションになった。値段は揃いで600円だった。他の切手と同様かあるいはそれ以下の値付けがされていたけれど、僕はそれらをストックブックの一番良い場所に並べた。
このシリーズをデザインしたのが誰だったのかが長い間の疑問だったが、つい最近、それが通信省の技芸官をしていた渡辺三郎という人の仕事だということを知った。東京五輪というと、市川崑の記録映画や一連のサイン計画が思い浮かぶけれど、この切手もまた、歴史の中のどこか特別な場所から、特別な光を放っているように見える。すぐれた感性から生まれたアイデアがそのクォリティを損なわれることなく、純粋な形で実を結んだ幸福な仕事だったのではないかと思う。
よほどの切手通でもない限り、渡辺の名を知る人は少ないだろう。国際文通週間シリーズの細かい文字部分の違い3などを眺めていると、名も無い技芸官の息遣いが伝わってくるようで、もう一度切手を集めるのも悪くないかな、という気持ちになったりもする。今なら写楽でさえそれほど高価な買い物ではないのだから。
2013.1.15
正規のデザイン教育を受けていない、ということは前回書いた。成り行きでそういう過程を辿ってきたけれど、仮に「18歳をもう一度やり直していいよ」とどこかの親切な神様に言われたとしても、どういう選択が自分にとってベストだったのか、今でもわからない。もし違う方向に進んでいたら、もっと若いうちにデザイナーとしての目鼻が付いていたかもしれないし、逆に才能豊かな美大生の中で萎縮したり、屈折してしまっていたかもしれない。
しかるべきデザイン教育の場に向かう代わりに、僕はときおり奇妙な遊びを思いついた。それは中学生の頃だったと思う。野球場のスコアボードの写真をヒントにした、選手名に使われている漢字を15×15のグリッドに再現するという遊びだった。今で言うピクセルフォントである。僕は青い罫線で仕切られた方眼紙の枡目を飽きることなくシャープペンシルでこりこりと埋めた。グリッドの位置をひとつずらすだけで、ぎこちないドットの塊がなめらかなストロークに変わるのを感じた。文字と文字とのバランスを確保するために、四辺の枠に余白を作るとよいことも知った。やがて人名漢字が尽きてくると、次にはアルファベットや数字を7×5のグリッドで作った。漢字にしろアルファベットにしろ、グリッドの精度を上げても、作業が増える割には完成した文字が魅力的に見えるわけではないのも不思議だった。
ドットマトリックスのフォントというと、今でこそ日常にあふれているけれど、デジタル化以前はそうでもなかった。思い浮かぶのは、古いところでロイターのロゴ2とかウィム・クロウェルの実験的タイポグラフィくらいで、当時の自分が知る訳もない。「エミグレ」がデジタルの揺籃期に現れるのはずっと後の話だ。まったく小さな隙間に迷いこんでしまったものだなと今にして思う。
今でも7×5のグリッドで構成された完璧なアルファベットのセットを時々夢想する。もしそういうものが存在するとしたら、自分はいつかそれを発見できるのだろうか。そしてこういう楽しみを共有できる友人を僕は知らない。それは確かに美大に行かなかったために支払わなければならなかった代償のひとつではある。
2013.1.08
いま思えばグラフィックデザインとの最初の出会いはバスだった。幼い頃、僅かな色数で塗装された車体のグラフィックや行き先を示す文字幕を見ているだけで幸福な気持ちになった。
中学生になると、通信講座でレタリングを受講した。自分には何かを創造する仕事が向いていると感じていたけれど、半年後にレタリングが終了してしまうと、その先は漠然としていた。僕はそれ以上ひとりで前に進む覚悟もなく、現実と折り合いを付けながら生きることを選んだ。
大学を出て、しばらくして企業広報物を編集する会社に入った。5年間、企画書や台割りや原稿を書く日々を過ごした。要領はあまり良いほうではなかったけれど、頭を捻って自分なりに気の利いた答えを見つけ出す作業は楽しかった。クライアントや上司からもそれなりに評価されるようになった。
そんなある日、仕事の帰りに銀座のグラフィックギャラリーに立ち寄った。それは「タイポグラフィーの流れ展」という1950年代から60年代の欧米のポスターの企画展だった。その最初の一枚を目にした瞬間、嘘みたいに地面がぐらりと揺れて、小さなめまいがした。まるで魔法の封印が解けたみたいだった。子供の頃に好きだったのはグラフィックデザインと呼ばれるものだったということをその時はじめて理解した。ポスターのクレジットには「ポール・ランド」と書かれていた。
次の休日に新しいマッキントッシュを買って、書体をいくつか求めた。心の中ではグラフィックデザイナーになることはもう決まってしまっていた。それはすでに決定事項だった。美大を出たというわけでもなく、誰かのもとで修行をしたというわけでもない。この先、デザイナーとしてうまく事が運ぶ客観的な根拠は何ひとつなかったけれど、僕は不思議なくらいに楽観的だった。